今回は「永い言い訳」という小説をご紹介します!
電車の中で西川美和さんの「永い言い訳」という小説を読んでいました。
クライマックスにさしかかったとたん、こみ上げてくるものがありました。
この本、電車で油断して読むと危険かもしれません。
この本はまさしく今の自分に読ませたい本でもありました。
結婚している方にとっては夫婦関係を再考するいい機会になるはずです。
ざっくりとしたあらすじはこんな感じ。
人気作家の津村啓こと衣笠幸夫は、妻が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。
永い言い訳 (文春文庫)
悲劇の主人公を装うことしかできない幸夫は、妻の親友の夫・陽一に、子供たちの世話を申し出た。
妻を亡くした男と、母を亡くした子供たち。その不思議な出会いから、「新しい家族」の物語が動きはじめる。
あらすじにあるように、この小説の前半で妻が亡くなってしまいます。
妻についての描写が少ないのですが、少ないからこそ想像力をかき立てます。
印象的だったシーンがあります。
サラリーマンであった幸夫が作家を志すもなかなか踏ん切りがつかないという場面。
その後押しとなったのが、妻の存在です。
美容師であった妻は「多少の蓄えはあるから夢を追え」と幸夫にはっぱをかけます。
この描写自体は半ページ程度しかないんですが、ぼくはこのシーンがうまく伏線として機能していると思いました。
あとになって、妻の存在感の大きさに気付くことになるからです。
この本やはり文学的表現がすてきなのです。
たとえば、幸夫が会社の接待を抜け出して、現状に葛藤しているシーンがあります。
濃いピンク色のつつじの花びらが水面に浮いた池の底から、赤や白やの大きな鯉たちが顔を出し、ぬらぬらと光る身体を芋洗いのようにからませながら花弁を押しやり、幸夫の吐き出した反吐を食いだした。はぷ、はぷ、はぷと大きな口を開けて、我先にと飲み込んでいく。昼間に食ったカレーも、お抹茶ソフトも、天ぷらも、おばんさいも、鱧の落としも、鯉コクも。
永い言い訳 (文春文庫)より
ははは。おまえら、仲間の肉がうまいか。蛮獣め。
会社から支給されていた携帯電話がズボンのポケットで鳴った。画面に、ここに誘った先輩の番号が表示されていた。幸夫は、反吐をむさぼり食うのに夢中になっている眼下の金色の鯉をめがけて、ルルルと鳴り続けている携帯電話を思い切り投げつけた。
死んでしまえ、みんな、死んでしまえ。
ここは西川さんの世界観が凝縮されている表現だと思いました。
この文章を読んだだけで、幸夫の本性が分かりますし、これに続く文章もまた個性的なんですよ。
しかし携帯電話は、鯉に当たらず、まるで違う方向の池の縁の庭石に当たって、そのままぽちゃりと暗い水底に沈んだ。やっぱり一度くらい野球をやっておくべきだったと幸夫は思った。しかしなぜか、書くなら今だ、そうも思った。「ついに」が、来た。
永い言い訳 (文春文庫)より
衣笠幸夫と同姓同名だけに、「野球やっておけばよかった」と後悔するんですよ。
投げた携帯が鯉に命中したことで幸夫の何かが変わるのです。
小説を書くタイミングがやってきたということ。
幸夫はその後小説家、エンターテイナーとして成功します。
個人的にはその過程を知りたかったですね。小説を書くまでの苦悩とかたくさんあったでしょう。
個人の人生が変わるタイミングというのははからずともこういうことかもしれません。
人生はなにがきっかけで転がるかわからないのです。
今更ですがネタバレにならない程度にクライマックスの部分も触れておきます。
作品の後半に幸夫が妻に宛てたメッセージの文章があるのですが、これが胸にささりました。
妻に先立たれると想像して読んでみると、まさに自分への訓示となるのです。
愛すべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはない。
永い言い訳 (文春文庫)より
別の人を代わりにまた愛せばいいというわけでもない。色んな人との出会いや共生は、喪失を癒し、用事を増やし、新たな希望や再生への力を与えてくれる。
そして幸夫はこう言います。
俺たちはふたりとも、生きている時間というものを舐めてたね。
永い言い訳 (文春文庫)より
当然ですが、人間死んだら二度と会えなくなります。
生きている時間というのは有限なのにどうしてこんなにも身近な人を軽視してしまうんだろうか?
家族関係を見直したい人におすすめの一冊です。