ちょっと前に読んだ小説の感想を。
この物語は、前半と後半で趣が異なってきます。
前半では、家の倉庫になぜか大きな木棺が発見され、その中にご神体が入っていることから物語が始まります。
そのご神体は、青森県の神社から盗まれたものであることが判明。
喜佐家の父、義紀は家族のメンバーから「神社のご神体を盗んだ」と疑いをかけられ、義紀を除く家族が一体となって、青森までそのご神体を返還しに行く。
ここで物語が終わるかと思ったのですが、それは導入部分に過ぎませんでした。
後半部分にこそ、「家族」の本質に迫るストーリーがあったのです。
私は、去年からいろいろな出来事があり、家族を見直す機会が爆増しました。
ここ最近感じているのですが、父親として、または夫として家族での役割がわからなくなっています。
家族の中での存在が薄いというか。
振り返ってみるとわたしは特段良い父親でもなかったし、良い夫でもなかったか、と。
自己反省していると辛くなってきた。
「家族はこうあるべき。父親はこうあるべき。」という一般的常識にまだ縛られているのです。
私が「よく1人で旅に行く」という話をすると、口を揃えて皆さんこう言います。
「理解がある奥さんでよかったね。」
「家族いるのに一人で旅行に行ってる場合ではないでしょ?」
私もそれはじゅうじゅう承知していますし、自責の念にも駆られます。
だめな父親なんだと感じることも多い。
まさしく、この小説中の父親・義紀のように蔑まれる存在かもしれません。
さらに驚いたことに。
義紀の人生が、私とよく似ていてオーバーラップしてしまうのです。
義紀は、陶器工場から機器メーカーの作業員に転職し、水があわずに1年も経たずに離職してしまいます。
工場での勤務を買われてホームセンターで働き始めたあたりから、徐々に何が何だか分からなくなってきた。
気づけば40歳。不惑と呼ばれる歳になってから、ようやく迷いが生まれ始めた。
まずもって賃金がどんと下がった。母さんにも食堂で働いてもらうようになると、自分の中の何かが後退していった。無理をして背伸びをしていたのだと気づくと、もう何もかもに頑張れなくなった。気が抜けた。あるいはいい格好することができなくなった。〜中略〜
この頃のお父さんには、歯を食いしばって、欲に抗おうとする心の足腰が、すっかりなくなってしまっていた。
めちゃくちゃわかる。私は、就職氷河期世代ど真ん中。
いちど正社員という正規レールから外れてしまったが最後、自分でも驚くほどの転落人生でございました。
【参考】
「気づけば40歳。不惑と呼ばれる歳になってから、ようやく迷いが生まれ始めた。」
まだ40歳で気付ければラッキーかもしれません。
周りを見ると定年間際になって迷いが生じ始める方もいます。
この小説の中で、浮気の定義について家族それぞれが考えるシーンがあります。
正解がありませんし、哲学的な意味を考え出すと逃げ出したくなるテーマです。
実際に、主人公も深く考える行為を放棄していました。
でも、自分なりにとことん考えて、それに納得することが大事と思います。
他人からどう言われようと、他人の意見はどうでもいいのです。
自分で納得さえしていれば。
私は、最近「とことん考える」という作業を手抜きしていたように思います。
もう一度、何かに向き合おう。
正当化しようとすれば論理でできるのですが、自分が納得するかどうかです。
ちなみに長女あすなのセリフで不意打ちをくらって、読書中にうるっときました。
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