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母親が亡くなった。何かが吹っ飛んだ。

2024年4月2日に母親がなくなりました。

47年間生きてきたなかで最大の悲しみと喪失感に襲われました。
異次元の苦しみ。味わったことのない全くレベルの違う底抜けの沼感。


【関連記事】倒れてから37日間。本当に本当に貴重な時間でした。


葬儀などで忙殺され、忙しさが落ち着いたときにふと信じがたい喪失感に襲われました。
何を見てもどこに行っても泣いてしまうのです。
今まで生きてきた中でこのような経験はありませんでした。

家にいると窒息しそうになるので、外に出る。
しかしどこに行っても母親の面影を見つけてしまい、苦しい。


人気のいないところを見つけて嗚咽する。折しも桜が綺麗なシーズン。
花見客で溢れかえる中、気づけば私は姫路城を見下ろせる小高い山に1人登っていました。


泣く。


ひたすら泣く。


この量の水分がいったいどこから出てくるのかわからないほど眼球から水滴が滴り落ちる。

吠える。



母の最終講義

私は、母親が入院してから意識が回復するように祈り、何か意味を見いだすべく書店をうろつくと1冊の本が目に留まりました。「母の最終講義」(最相葉月著)というエッセイ集。

母への長距離介護について書かれた文章の中で使われていた「母の最終講義」という言葉が私の中でずっと引っかかっていました。

来年、私は脳出血で倒れた年齢になる。同じ病になったとしてもそれから26年。
自分の足で外出できず、友達もおらず、買いたいものを買えず、食べたいものを食べられず、読みたい本を読めず、人の世話になるばかりの時間が続くと想像するだけでぞっとする。
だが、母はそのぞっとする時間を生きてきた。

納得のいく人生とはなんだろう。やりたいことを自由にできることだろうか。
今、私の心境は大きく変化しつつある。
この日々は母が私に与えた最後の教育ではないかと思うようになっているのだ。
こんなこと、教えたくても教えられるものではない。

母の最終講義」(最相葉月著)より

母は私に何を教えてくれていたのだろうか。
9回に及ぶ病院での面会で、母の意識が戻ることを祈願し、母に自分の思いを必死で伝えました。

「母が大好きであること。
そして、47回目の誕生日でまで頑張って生きてくれたこと。
そしてわたしに人生を与えてくれたこと。」


全力を尽くして感謝を伝えようとしました。

しかし、37日間の苦闘の末、母は自分の意思を伝えることなくあの世に行ってしまいました。

最後の最後まで望んだこと。
それは母ともう一回だけお話をしたかったたった。
それだけ。全財産でも何でも投げ出してもいいからそれだけ。

後悔

懺悔をすると、私は母親にどうしても仕事をやめて欲しかった。
70歳という年齢でこなせる仕事量ではなかった。
1日50件以上の弁当宅配。
絶対にやめて欲しかったのに、結果的にやめてもらうことができなかった。
血圧が200を超えることもあり、本当に心配していたのにやめることはなかった。


最後のLINEで「確定申告で消費税をいくらか支払わないといけない」と事務的なメッセージを送ってしまったこと。
それが私から母親への最後のメッセージとなってしまった。
そんなことどうだってよかったのに。
既読がついたもののそれ以降、母親から返信が来ることがなかった。


70歳の誕生日にプレゼントを送ろうと思いつつ、先送りをしてしまったこと。
父親には古希のお祝いをしたのに、母親には先送りにし、先送りにし、先送り。
またしても「人生の送りバント」をしてしまった。


悔やんでも悔やみきれない。
わたしは本当にバカだ。学習できないのか。


It is no use crying over spilt milk.

行政書士の試験が不合格になったとき「過ぎたことは仕方ない前を向いて次に進もう」と言われた。
その通りだと思う。しかし、今回はそれとは全く次元が違う。
後悔の質も取り返しのつかなさも全く違う。

母親は死なないものだと思っていた。そんなわけがない。
母親に対してはいつでも親孝行ができると思っていた。本当に甘い。

現実世界では取り返しのつかないことがある。

おそろしいことに私はこの後悔を忘れるかもしれない。
この悔しさ悲しさも忘れるかもしれない。そうでなければ辛すぎるから。

しかし、 この澱のようにたまっている、蓄積している得体の知れない感情、現実社会の無慈悲さを思い知った経験は一生忘れないと思う。忘れてはいけない。

私はこの経験から自分自身を変えなければならない、
もし変わらないとすると本当に親不孝な人間だと思う。



今年の桜は例年以上に身に染みました。


生前、わたしに対して一度も「勉強しろ」と言ったことがない母。

母の「最終講義」は、皮肉にも亡くなったときに始まった気がする。


この記事を書いたのは私です

ケンタ
ケンタ
1級ファイナンシャルプランナー、宅地建物取引士。
【経歴】1977年兵庫県生まれ。一橋大学経済学部卒業後、多種の業界で管理部門をほぼ経験しました!(IT、経理、経営企画、財務、人事、マーケティング)
【得意分野】人生設計やプラン作成、分かりやすく説明したいです。
【趣味】カフェめぐり(日本全国のスタバ旅など)グルメ、ストイックな勉強。