東京に上京してから約26年が経ちました。
人生の半分以上は関東に住んでいることになります。
さて「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」という本が話題になっていたので、私も読んでみました。
「Twitter小説」というジャンルの文章なだけあってTwitter的な世界観が満載です。
この本はTwitterから派生した20篇からなる超短編小説集。
30歳前後の若者が感じている大都会での辛酸を味わうような本です。
そういえば、東京はわたしにも幾多の試練を与えてくれました。
この本の特徴的なところは、具体性にあります。
ほとんどぼかしていない。
学校名や会社名、書籍名などの固有名詞がストレートに表現されています。
たとえば「東大、一橋、早稲田、慶応」といった東京の有名な大学や「博報堂」などの会社名も実名。
このような具体性が東京生活をよりリアルに想起させています。
また、この具体性によって見えない階級制度が可視化されてしまう感じがしましたね。
すべての日本国民にヒエラルキーが存在しており、出身大学や会社、身分、年収をもとに厳格な身分制度がある都市。それが東京か、と。
「早慶」に対する憧憬や劣等感なども描かれており、なんというか……窮屈。
高校の成績は良かったから、指定校推薦で明治に入った。
早稲田の一般受験の連中は見下したような感じでムカついた。父の母校から同じ学校に来た人もいた。彼も早稲田に行きたかったと言っていた。模試だと早稲田もA判定だったと偉そうにしていた。
同じ学歴になるんだからコスパが悪い人生だなと思った。
あらゆる箇所で人間の格付けがされていて、どのヒエラルキー階級に属していても息苦しさを感じられます。
高学歴の身分あるステータスであっても全く満足していない高給会社員。
既得権益を獲得したはずのエリート。
この本を読んでいると誰も彼も幸せそうな境遇のはずなのに全く幸福さを感じさせない。
それは東京のせいなのだろうか。
この本で描かれている短編小説の根底に流れているのは東京という大都会の空虚さです。
実際、「空虚」という言葉が何度も使われています。
登場人物はみな、何かしらの形で東京という都会に打ちのめされているのです。
東京を知れば知るほど、東京が遠くに感じます。東京の真ん中に住んでいるのにね。どの駅も10分はかかる南麻布の陸の孤島の、家賃9万のボロアパートですけどね。
神泉あたりのお店、調べたけど安いとこも多いですね。今度開拓してみようかな。お金もセンスもない人にとって、僕みたいな人にとって、東京は生きづらいですね。
少しわたしの話をします。
1996年、わたしははじめて一人で東京にやってきました。
大学入試の二次試験。
「立川」という近未来の駅に到着したわたしはその規模の大きさに驚きました。
立川に驚いたというより、「東京の西のはじっこに位置している立川といういわば「2軍の東京」がこんなに栄えているのか」「立川でこれなら新宿や渋谷はどうなってるんだろう」と戦々恐々としていたのを覚えてます。
私はその年の二次試験で落ちてしまいましたが、翌年また同じ大学を受験して合格し、国分寺に居住しました。
東京の田舎は本当に過ごしやすくこんじまりとした幸せな時間が流れていました。
しかし……大学卒業して「本当の東京」に移ってからは地獄が待っていました。
残業が続いて疲労困憊の23時に会社から見えた東京タワー。
煌々赤々と光る東京タワーは今でも忘れません。
「東京」の象徴である東京タワー。
今、わたしの部屋からはこの東京タワーは見えません。
よかった。
あの東京タワーはもう見たくない。
わたしの尊敬する船戸与一先生が東京タワーを表現するならば「東京砂上楼閣赤焔」とでも名づけそうですね。
この本で出てくる登場人物のように「東京」という大都市に洗礼を受けて打ちのめされている人も多いでしょう。
でも、いつかは光が見えます。
人生は短いようで長い。
わたしも45歳になるまで山あり谷ありでした。
今順調にいってるようでも必ず谷はきます。
そしてこれ以上の地底はないようにみえてもいつかは山はきます。
わたしも20年くらい人生の谷底を這いつくばっていましたが、最近はやっと少し空が見えてきた気がします。
まだ曇天ですが、土を掘っていた人生からは少しずつ回復してきました。
人生はそんなもんです。
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