このお盆休み、インパクトのある小説に出会いました。
吉村萬壱先生の「みんなのお墓」 という小説です。
まず「一体何をしているのだろう?」という出だしから始まります。
墓地で裸体になり、放屁、脱糞。
突然の展開。私だけでなく、すべての読者が「本当に、何をやっているのだろう??」と疑問に思ったはず。
物語が進行していくと、登場人物たちがみんな常軌を逸していることがわかります。
それでもそれぞれのキャラクターがいとおしく感じられるのが不思議!
ちょうど小説の真ん中あたり、100ページくらいでいったん読む手をやめました。
「つまらないから」という理由ではなく、すんなりと先を読めなかったからです。
読んでいる最中「うわー」と唸ってしまうほど、人間の奥底にある残酷さが描写されています。
とにかく一気に読めなかった……。
物語の後半になるにつれて、私の遅読ぶりはますます加速していきます。
1ページ読むごとに休憩を入れるように。
1行1行を味わいながら舐めるようにして読んでいく、久々の遅読を楽しみました。
これほどダイレクトな表現を用いた小説は久しぶりかもしれません。
さすがは芥川賞受賞作家です。
言葉選び、文章の構成など遊び心がすごい。
突っ込まざるをえない箇所や声を出して笑ってしまった箇所など多数ありました。
特に、何度も同じように登場人物の説明をしてくるところ。
「キンキン声の琴未」「裕福な貴子」「太った智代」などしつこく枕詞を何度も使ってくる。
「それ何度も聞いたわ」とツッコミを入れたくなるところ、あえてリピートする吉村先生の胆力がすごい。
わたしには、このしつこい「テンドン」が病みつきになりました。
ネタバレにならない程度で、印象に残ったシーンを紹介します。
しかし彼女はアンダーシャツを脱ぐ手を止めなかった。
そしてアンダーシャツを脱いでブラジャーも取り去った時、その音がまだ微かに聞こえていることに言い知れぬ興奮を覚えた。
人に見つかるか見つからないかのギリギリのところを攻めつつ、死者のためにあるのか生者のためにあるのかよくわからないこの墓地という舞台で骨まで裸になってしまいたいと彼女は思った。
そこにはまがい物でない本物の人間力獲得に対する、淡い期待があった。
凄惨な集団暴行を受けたあるキャラクターがなぜか墓地で裸になるシーンです。
この「人に見つかるか見つからないかのギリギリのところを攻めつつ」というところもさることながら、「死者のためにあるのか生者のためにあるのかよくわからないこの墓地という舞台」という箇所は、この小説を精読すると納得!
「墓地とは死者のためにあるのだ」という一般的な常識がよくも悪くも覆りました。
書名の「みんなのお墓」とは言い得て妙。
この小説に登場するキャラクター全員がどうしようもない情けなさを持っています。
しかし、逆にそういうダメな点があるからいとおしさを感じました。
最後の最後、ふと中学生の2人が人生の真理らしきことを発言します。
「この先ちゃんと生きていけるかなあ」
ホットココアを飲みほした琴未が口から息を吐きながらそう呟いた。
「ちゃんと生きても駄目に生きても、結局みんな灰になるんだよね」
ショッピングモールを行き交う買い物客を眺めていた貴子がそう答えた。
「そうだね」琴未は口をへの字に曲げた。
「だったらいっそ、 ちゃんと生きないことにしない?」
貴子がそう言うと、琴未の目がみるみるうちに倍ぐらいの大きさになった。
このシーンがもっとも核心をついていて驚きました。
ちゃんと生きていても客観的にダメダメな人生を送っても、最後は死んで灰になるのです。
それなら、この小説で出てくるキャラクターたち(特に服部隼人)のように「ちゃんと」生きなくてもよいのではないかと。
それだけで、ずいぶん気が楽になりました!
帰省先からの新幹線で読んだ「生きのびるための事務」で繰り返された「どうせ最後はうまくいく」と同時に来年の抱負にノミネート!
人生なんて「どうせ最後は灰になる」し、「どうせ最後はうまくいく」ものです。
FPや宅建士の問題集や「スリランカへのアーユルヴェーダ旅行記」、「睡眠薬の断薬ストーリー」などの電子書籍を出版したりしています。
くわしくはこちらをごらんください!